Preah Khan : 聖なる剣
訪問日 |
09Feb2003 |
創建者 |
Jayavarman 7th |
創建年代 | A.D.1191 |
建築様式 | Bayon Style |
宗教 | Buddhism |
この遺跡は、Angkor Thomの北大門を出て、進んで行くと、右手にある。 東が正面であるが、観光コースは、通常、西側から入り、北に抜けるケースも有る。 この遺跡は、ジャヤヴァルマン7世がチャンパとの戦いの戦勝記念として建立され、Preah Khan(=聖なる剣)と 呼ばれている。 また、ジャヤヴァルマン7世の父が祀られている。 西側から遺跡に向かう参道を進む。 西塔門の手前には、乳櫂撹拌の神々と阿修羅達がナーガを 綱に見立てて綱引を行っている場面をモチーフに欄干が作ら れている。 この形式は、Angkor Thomの5つの門にも同様の乳櫂撹拌の 綱引の欄干がある。 その中でも、Angkor Thomの南大門は、修復され最もきれいに 残っている。 周壁に残っているガルーダのレリーフ。 足で掴んでいるのは、天敵のナーガ。 カドゥルーとヴィナターの姉妹は、乳海攪拌の折に現れた白馬の色について口論した。ヴィナターは前身白色、カドゥルーは、しっぽは黒色を主張し、負けた方が奴隷になる約束をした。 蛇族のカドゥルーは、1000匹の息子達に、まっ黒になって馬の尻尾になるよう命令した。 翌朝、馬を見に行き、その馬のしっぽは黒色だったので、 カドゥルーは、ヴィナターを奴隷にした。 ヴィナターの息子ガルーダは、母の境遇に耐えられず、蛇達に、どうしたら解放してくれるか尋ね、不老不死の妙薬アムリタを取って来たら母の解放を約束した。 ガルーダは、神々の世界へアムリタを求めて飛び立ち、アムリタを手に入れる。 それを見た神々の王インドラは、ガルーダの偉大さに、友情を結ぶ事を申し出た。ガルーダは、アムリタを奪った理由を話し アムリタを蛇達に渡した後に、取り返しても良い事を約束した。 ガルーダは、身を清めて飲むようにとアムリタを、蛇達に渡し、母親ヴィナターを取り戻した。そして、蛇達が身を清めている間に、インドラ神は、アムリタを取り戻す。 よってナーガは、ガルーダの天敵だ。 周壁の西塔門の西側破風。 ラーマヤナ物語のランカ島での戦いの 場面。 下段では、右手の馬車に魔王ラーヴァナ、 左手の馬車には弓を射ているラーマ王子がいる。 上段は、巨人クンバルカーナ(中央)とラクシュマナ達と戦っている。 魔王ラーヴァナの弟クンバルカーナは、6ケ月眠り続けてた後、1日だけ不死身になる。 しかし、眠っている途中無理やり起こされたら本来の力がでない。 ラーヴァナの軍隊と、ラーマ王子の戦いの中で、形勢が不利になったラーヴァナが、クンバルカーナを無理やり起こして戦わせている。 ここはどこ? 記録してないので、わからなくなりました。 崩れた祠堂内部を東へ抜ける。 踊り子のテラスへ抜ける手前のまぐさ石。 下段には13人のアプサラスが彫られており、上段には、仏陀像が 彫られていたと考えられるが、今は削り取られている。 ジャヤヴァルマン8世の時代に仏教とヒンドゥー教の争いが起こり、 ヒンドゥー教徒により、仏陀像が削り取られたと考えられている。 以下は、13人のアプサラスのレリーフの拡大写真。 中央祠堂の北東に建つ建物。 2階建ての石造建築であり、クメール遺跡の中では、他に例を 見ない。 その2階建て建造物の拡大写真。 ナーガのテラス。 欄干はナーガの胴体でできているが、欄干の端は、ガルーダがナーガの 頭を足で掴んでいる。 その拡大写真。 第2周壁の東側の壁の内側にはレリーフが施されている。 窓もレリーフで、偽窓だ。 スポアンの木が周壁を跨いでいる。 ここもスポアンの木が遺跡を傷めている。 たぶん北塔門だと思うが、ちゃんと記録してないので、 どこかわからなくなった! |
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